夜な夜な黒魔術屋

GENERALS GATHERED IN THEIR MASSES, JUST LIKE WITCHES AT BLACK MASSES

私が夜の京都の繁華街を好きになった理由

 京都といえば、静寂で優雅な古都。繁華街という現代人の「堕落」の象徴は、この町には不相応に思われるかもしれない(いや、きっと不相応に違いないであろう)。しかし、私は京都においてもとりわけ夜の繁華街が好きだ。

 堕落とは、すなわち人間の天性である。私はきっとありのままの人間が好きなんだろう。美しさを求め、快楽を貪り、夜の魔法に身を任せて欲望の舞台の幕を開ける。私のような地味な人間は決してこの舞台に上がることはないだろうけど、舞台上の彼らこそ最も人間らしいと私はいつも思う。何せ、幾万年にもわたる人類の蘊蓄は、ことごとくこの夜の繁華街により一層際立たされている。夜を咲かせようとするネオンも、都心の風景を飾る車も、人間が創り出した数えきれない知恵はまるでこの夜だけのために積み上がってきたように思える。仮にそれが幻覚だとしても、夜の繁華街には人に幻覚を見せるほどの魅力があるに違いない。我々人間が求めているものは幾万年にわたってずっと変わらぬままなのだ。変わってきた、そしてこれからも変わってゆくのはその欲求を満たすための手段にすぎない。

 清潔を好む者は言うだろう。これぞ堕落、悪の源だ、と。けれど、こうした魔を潜ませる欲まみれの都心の繁華街こそが、「己」という人間的存在を正しく教えてくれる場所だろう。我々は自然と接し合うとき、必ず己のちっぽけさに気付かされる。万物を育む自然と比べると、我々人間はどれだけ取るに足りないだろう。そこから得られる心の安らぎには常に幾分かの悲観的感情が含まれている。しかし、人間は人間なりに、悪たる者なりに、夢を追いかけてきた。そうともーーそもそも欲望がなかったら夢なんて存在すらありやしない。知識への渇求も本質的に満たされない心の現れであり、現代社会の文明でさえ「もっと便利!もっと楽!」という欲求から生まれた惰性の産物と我々はある程度認めざるを得ない。世の中は「夢」のことを「欲望からの昇華」と捉え、「悪の欲求」と「善の欲求」を分ける傾向があるが、私は何事につけても善悪二元論で捉えようとする安直な態度が嫌いだ。我々誰一人として一つだけの動機に駆り立てられるわけではない。夢は欲望である以上、そこに必ず何らかの形で悪が潜んでいる。だけど、私は夢を否定するつもりはない。むしろ、私は一人の夢想家として、あらゆる美しい夢を耽美的で肯定的に捉えている。だから必然的に、私には悪の存在やこの欲まみれの世界を否定する理由がない。夜の繁華街に立ち尽くし、私はそこで人間の真実性を存分味わえる。己の悪を自覚し、それでも人間は夢を見る。儚くて美しい夢のためなら、すべてを犠牲にしてもなお愛おしく、狂おしく、毒を垂れ流すバラに魅入られる。こうして、悪はだんだん夢の繁華街へと結晶してゆく。そうだ、私は己の悪を恐れぬ人間の勇敢さを賛美したいのだ。この悪を謳歌し、夢を膨らませたいのだ。私は夢想家であり、夢魔でもある。だから私は、人に淫靡なる夢を植え付け、欲望の繁華街を見せるのだ。仮初めの幸せであれば、その仮初めの幻覚の最果てまで行こう。そこにはきっと、未だ嘗て見たことのない新たな世界が待っている。

 とうとう、私は自分の言っていることがわからなくなってきた。私は夢想家であっても、夢魔ではありえない。ましてや誰かに嘘の世界を見せたりすることはなおさらのことで、有りやしない。もっとも、私は夢の舞台に登場することも、夜の繁華街に立ち尽くすことも決してないのだ。私はただ一人で、夜の繁華街を散策し、自己満足の物思いに耽る自惚れ野郎だ。なのに、私はなぜ飲酒もクソもないくせに、この夜の繁華街に酔ったんだろう。私はただその舞台の後ろに立って、役者共を見守り続けたかった……ああ、そうだ、ようやく思い出した。私は彼らの姿に目を留めて、そこから人間の天性を見出した。欲張りで、醜悪で、可哀想だけど、それ以上に美しくて偉大なる意志を持つ生き物なんだ。良くも、馬鹿げた欲望を成し遂げるために、こんなに立派な町を創り出した。その繁華街を歩くのは、一人一人の人間ではなく、人間の一人一人だ。誰かが堕落に甘んじ、誰かが馬鹿げた夢を見るーーそうした人間の一人一人が一人一人の人間の仮面を被り、夜の繁華街を鮮やかに彩った。そして、私という存在を含めた「彼ら人間の一人一人」はネオン仕掛けの夜空に紛れ、遙かなる遠い彼方に一幅の絵巻を捧げているのだ……

 ーー妄想はそこで途切れ、咄嗟に我に返った。まさか夜の京都の繁華街を眺めただけで、私はここまで狂気に陥ってしまうとは。だけど、その狂気めいた美に私の心が揺さぶられた。静かな京都には、こんなにも異色な世界が存在するなんて。まるで悪戯の魔法使いが、夜が訪れるたび河原町を京都から追放するかのようだ。

 私はこうして夜の京都の繁華街を好きになった。